奈倉有里 訳
<内容>
1979年12月、ソ連政府はアフガニスタンへの軍事派遣を決め、若者たちを戦場に送り出した。やがて彼らは亜鉛の棺に納められ、人知れず家族のもとへ帰ってきた。生きて戻った者は、癒しがたい傷を負い、鉛のような心を抱えて苦しんでいた。
この戦争は1989年まで、9年1ヶ月と12日続いた。
「プロローグ」「手帳から(戦地にて)」「1日目「多くの者が私の名を名乗って現れ…」」「2日目「ある者は心を苦しめて死に…」」「3日目「口寄せや呪い師のもとに赴いてはならない…」」「POST MORTEM」「『亜鉛の少年たち』裁判の記録」「訳者解説 母と子の接点を探して」
<感想>
「プロローグ」は、特殊部隊にいた息子がアフガニスタンから帰国後、料理用の鉈で人を殺してしまったと嘆く母親の話。逞しくなって欲しくて自ら息子を戦地に送り込んだこの母親に、あまり同情はできないな。
そしてアフガン帰りの若者たちは、被災地(1988年12月、アルメニア地震)でも火事場泥棒をしていた。ロシア軍はウクライナでも同じことをしている。医療品や装備、消耗品から食糧まで現地調達、戦利品や略奪行為はこの国の伝統なのかな。
「プロローグ」の後は狙撃兵や衛生兵、追撃砲兵、工兵、分隊長、戦闘車砲手、戦車兵、通訳兵、通信兵、偵察兵、特殊部隊戦闘員等々、国際友好戦士と呼ばれた彼らの生々しい戦争体験談と、悲嘆に暮れる戦死者遺族の話が延々と続く。
結婚相手を探しに戦争に行ったと言う女性の証言に驚いた。遺体の損傷が酷いので亜鉛の棺だった。毎日誰かが死んでいく戦場の生活、パルチザン戦、手足を失った帰還兵の暮らしぶり、彼らの懊悩や葛藤など、読み応えがあった。
ソ連では世代ごと(大祖国戦争、フィンランド戦争、アフガニスタン戦争)に戦争が起きていて、この戦争はブレジネフの愚策、政治的過失と言われているそうだ。
戦争に負けて1991年にソ連邦は崩壊したが、その継承国(対外債務を含む権利と義務を継承)であるロシアは、2022年2月にウクライナへ軍事侵攻した。この国には町を破壊され多大な犠牲者を出した第二次世界大戦(独ソ戦)の教訓は無いのかな。
そして、本作発表後に巻き起こった裁判の顚末などを大幅に増補しており、とても興味深く考えさせられた。一読の価値がある本だと思う。
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